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貯蓄

金持ちはお金を使う事を悪い事だとは思わない

金持ちはお金を使う事を悪い事だとは思わない

「貯蓄から投資へ」とスローガンが掲げられて、いよいよ日本も投資が一般的に浸透していくのを感じてはいます。

感じてはいますというのがしっくり来てしまうのが、実態としては未だ日本国民の金融資産の実に50%が現預金である事実です。

貯蓄は日本人の特性などと言われていますが、人種による傾向などあるのでしょうか?
思想や行動特性は環境により形成されます。

日本人だから貯蓄傾向があるというよりは日本で育つと貯蓄傾向となるという方が正しそうです。
日本の環境はそこまで貯蓄を奨励しているでしょうか?
一体どんなところから私たちはお金を貯めようと意識するのでしょうか?

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・両親から教わる事は無駄遣いをしない

誰でも無駄遣いをしないよう教わってきてはいないでしょうか?
「全部使っちゃダメよ」「お菓子ばっか買っちゃダメ」「ゲームに全部使っちゃダメよ」

著者はこのような事をもう少し厳しい言い方で言われてきたような気がします。
ごめんよ母さん、言われたままはちょっと書けないかもしれない。

さて、唐突に疑問を呈してみたいのですが、無駄遣いとは何ぞや?という疑問です。
実のところ大人になると思う事ですが、子供の頃の消費なんて全て無駄な消費だったように思います。
というよりも大人になった今だって消費の大半は無駄なものです。

皆さんはどう思いますか?
有用で未来につながる、消費を今も昔もしていますか?
多くの人が消費なんて無駄な事ばかりだったなぁと思いませんか?

駄菓子を買ったり、ゲームをしたり、漫画やおもちゃにお金を使っていませんでしたか?そして、それらへの消費を無駄遣いと教わってきていませんか?
なので、私たちは消費は無駄なものだと刷り込まれているような気がします。
消費とは無駄なのでしょうか?その考え方こそ誤りというのはあり得ないでしょうか?

体験は無駄な消費ではない

体験は無駄とは言えませんよね?
小さい時に友達と熱中したゲームがあったとして、その思い出や友人との体験は無駄なものなのでしょうか?
大人になって体験には価値があると考えませんか?

であれば、子供の時のお金の使い方なんて何に使っても体験に繋がるのですから無駄遣い等では無いとも言えてしまいます。

むしろ、無駄な費消と呼ばれる使い方を通じて、浪費の価値を知る事が出来ればそれも有用な体験と言えそうです。
幼少期に失敗を沢山体験しておくことが大人になって役に立つという事を私たちは経験的に良く知っています。

あれ?じゃあ、無駄遣いをしない様に言われてきた事って間違いではないの?
消費する事を無駄遣いだと思うという事は、消費しないという事が有用であると考える事になります。

私たちは無意識、無自覚に無駄遣いという悪を刷り込まれてきているので、使わない事を善だと捉えているのではないでしょうか?
意識改革は消費への考え方からかもしれません。
お金の消費はモノや体験に換価されます。
体験は経験や知識に変わり、モノは便利な暮らしや豊かさに繋がります。
それらは当然悪ではないはずです。

善悪は相対論ですから、私たちが良いと思えば善いのですし、駄目だと感じれば悪なのです。
例えば銀行の有り金全部を酒にかえて飲んでしまうのはどうでしょうか?
肝臓を傷めて、時間が飛ぶように流れて何も残らない。

多くの人はこのお金の使い道を有用だとは思わないのではないでしょうか?
これこそ無駄遣いです。
ところがですよ?中小企業の代表者クラスには毎晩飲んでる人が沢山います。
毎晩飲む事が人付き合いに繋がり、自社の取引を円滑にしているのです。

これは無駄遣いではありません。
無駄かどうかはあくまでも相対論であり、自分自身が定める事です。
消費するという事は何かに換えるという事です。
失う事では無い訳です。

それら消費が必ずしも無駄ではない、つまり悪ではないのですから、私たちは無駄遣いを避けてしまう事を悪癖だと考え直しても良いかもしれません。
無駄遣いだと思う習性が使わない事を善とする根拠になっているのではないでしょうか?

お金は活かす事が出来れば有用なはずです。
投資で増やす事は奨励されるようになりました。
何かに投資する事は使い道です。貯めておく事とは毛色が違いそうです。
何かを学んだり、人付き合いをしたり、これらは自分への投資とも言えます。

好きなものを食べたり、遊びに行ったりとそうして自分のバイオリズムを整えるという事も必要な消費なのではないでしょうか?
私達は消費を過剰に抑制するよう教育されてきました。
実態としては消費は体験を生み、自分の血肉に変わるにも拘わらずです。

消費が無駄かどうかを決めるのは自分自身です。
それらを一緒くたに無駄遣いは悪、消費しない事は善と考える事は誤りのように思えます。
私達はこの「無駄遣い=悪」が刷り込まれているために貯蓄傾向が強いのではないでしょうか?

・どうしてみんな無駄遣いをしないように言うのか?

では、何故社会では無駄遣いが悪者とされているのでしょうか。
思い浮かぶ仮説としては貧困を避けなければいけなかったからではないでしょうか。

蓄えが無くなり、食べるものが無いとひもじい思いをします。
現代では飽食の時代ですから、食うに困るという事は無いかもしれません。
しかし、ほんの少し以前まで経済的な貧窮は文字通り食べられないに直結していました。

食料の備蓄は勿論、換価出来るお金も蓄えておくことは緊急時へのリスクヘッジだったと考えられます。
飢饉や天変地異へのリスクヘッジも今では形が変わって、仕事を失ったり、病気をしたりといった労働環境の変化に備える事に意味が置き換わっています。人生何が起こるかわかりません。

なので、「貧窮する事態に備えて備蓄をしておく事=貯蓄をしておく事」となり、そのため無駄遣いはするなとなっていくのだと思います。
ところが、時代は投資を奨励する社会に、貯蓄が必ずしもリスクヘッジとして万能ではなくなりました。

現代でのリスクも多様化しており、子供の就学費用や老後生活資金等、食べ物を買う為の備蓄とは限らなくなっているためです。
老後資金が無ければどうなるでしょう?現代社会で学歴が無ければどうなるでしょう?

現代の貧窮はステータスにより生じます。
現代社会日本では「貧窮する事に備えて備蓄をしておく事=貯蓄をしておく事」ではなくなったのです。

十分な金融資産を持っていて、金融資産から収入がある。
十分な学歴を備えていて、所得に通じる職業に就ける。これらが現代のリスクヘッジなのです。

そう考えると無駄遣いの悪性はどうなるでしょうか?
金融資産が増える事に繋がる消費は悪ではなくなり、学歴や人間形成に役立つ消費は悪ではなくなり、もっと言うなら経済的な価値に繋がる人付き合い、キャリア形成に繋がる自己投資なども悪ではなくなります。

モノの見方によっては遊びに出かける事も何かに繋がるかもしれませんし、ゲームをしてても、本を読んでいても、そこから何らかの価値を見出せるかもしれません。

無駄遣いは悪だという刷り込みは私たちを知らないうちに蝕み、固定化された価値観を植え付けています。
試しに「無駄遣い」で検索しようとして見て下さい。
出てくるサジェストはネガティブなものばかりです。
無駄遣い 後悔 やめたい やめられない などと無駄遣いは悪そのものです。
多くの人にとって無駄遣いは悪であるという共通認識がある証拠と言えるでしょう。

・無駄遣いを思い直す事の有用性

「ウルトラ金融大全」と銘打つこのコラムでは勿論有益なお金の使い道は投資など自己の収益に繋がるものを奨励するべきなのでしょう。

しかし、あえてここでは違う事を主張したいと思います。
人々は消費に不寛容過ぎます。

投資に使わなければと言い出せば節制をして計画的に投資をしましょうというコラムで溢れています。
そして、結局無駄遣いをしないで投資しましょうと貯蓄が投資に置き換わっただけの理論ばかりです。

いやまぁ「貯蓄から投資へ」なのですから、それはそれで良いのかもしれませんが、私たちの課題は消費への極端な嫌悪であると仮説を打ち出してみました。

無駄遣いで自己嫌悪に陥る人も沢山いる事でしょう。
しかし、後悔した買い物のアンケート結果や消費をなくす事を奨励するコラムを読むたびに違和感を覚えます。
例えば「宝くじを買って後悔した」という人がいるとしましょう。
それって勿論外れたから後悔しているのであって、当たれば良かったと思っている訳です。
現に宝くじで当たった人が「宝くじを買って後悔した」とは言わないでしょう。
こういう消費を無駄遣いとは言わないと思います。

この場合、不確定性の強い投機話に釣られてしまった己の精神性を嘆いているのかもしれませんが、後悔すべきは目先の儲け話に夢を見る自分であり、宝くじではありません。

ホストクラブやキャバクラで使ったお金を後悔している人も沢山いるようですが、この場合も目先の享楽に過度に消費してしまう己の計画性の無さを嘆くのであり、使い道であるホストやキャバクラが問題な訳ではないでしょう。

上記の両者は人によっては「夢を買ったと思っているから後悔はない。今年も宝くじを買う」という人もいるでしょうし、ホストやキャバクラは息抜きだから割り切って利用しているという人もいるはずです。
問題点は消費そのものを後悔としている点にあると言えます。

消費=悪が刷り込まれていると、その消費から何を得たとしても消費した事実自体から罪悪感を感じてしまうのです。
消費というものを失ったと考える事を変えられないものでしょうか?
消費したのではなく、得たと思えば違うのではないでしょうか。

モノの捉え方一つでお金から得られる幸福そのものが変わります。
お金を貯めてしまう事は悪でも何でもありません。私たちは消費する事が悪い事だと刷り込まれているための自衛本能のようなものです。
そこを無理に投資に置き換えてみても貯蓄傾向である私たちの根本部分は何も変わらないでしょう。

「無駄遣い」この言葉から何を感じ取るか。そのあたりの意識の在り様がお金を活かす人とそうでない人の差に繋がっていくと思います。

「ウルトラ金融大全」では資産形成や運用の話をセミナーで案内しています。しかし、根本にあるお金の考え方は個人の幸福に繋がっていなくては意味がありません。我慢や努力は続かないという話をセミナーで良くするのですが、全てはモノの考え方一つだと思います。

「無駄遣い」を受け入れて、消費を悪としなければ、よりよい使い方を自然と模索出来るのではないでしょうか?

その道程に後悔などあるはずもなく、お金が自分に何をもたらせてくれるかを考えた方がよっぽどお金が増えていく事でしょう。これこそがお金持ちのマインドというものなのです。

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この記事を書いた人

佐藤大介

ライター

佐藤大介(さとうだいすけ)

ウルトラ金融大全局長
ウルトラ金融大全の監修を務めます。
金融リテラシーを高める為、セミナー講師として活動。
「超一流の口だけ男」と評される氏のセミナーは非常に分かりやすく、何度も受講するファンが沢山います。
リンクからウル金セミナーも是非ご覧下さい。

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