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財産形成のマインドを持つ視点を変えれば誰でも出来る
将棋の羽生善治会長は言うまでもない将棋の天才ですし、野球界のイチローといえばそれはそれで紛れもない天才だと思う訳です。
ある時思ったんです、彼らは一体何の天才なのだろうかと。
野球の才能とは何でしょうか?
足が速い事や、ボールがよく見える事や、肩の強さをいうのでしょうか?
将棋の才能とは棋譜を覚える記憶力なのか、先の手を読む分析力なのか、はたまた理外の一手を生み出す発想力なのでしょうか?
世にいる才能あふれる天才と呼ばれる人々は何が秀でていて天才と呼ばれているのでしょうか?
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天才とは無意識下で努力する才能
おぼろげながら見えてきたものがあります。
彼らは無意識に努力をしている事が強みなのではないだろうか?と。
無意識ながら努力しているというのがどういうことかと言えば、通常私達は訓練というものを意識的に行います。
将棋の勉強をしようと思えば、明確に将棋を学ぶ意思を持ち、そのために駒を並べ、棋譜を調べてうーんうーんと唸ってみる。
野球を訓練しようと思えば、体力作りに走り込みを行い、素振りを続けてはぁはぁ息を切らせてみる。
時に訓練の継続は辛いものであったり、億劫なものであったりするが初心忘るべからず強い気持ちで訓練に励もうと奮起するわけです。
所が、天才は違うのではないかと思いました。
意識しなくても脳が勝手に野球の事を考えているのではないでしょうか?
朝目が覚めると棋譜が頭に浮かんでいるのではないでしょうか?
素振りをしないと落ち着かないのではないでしょうか?
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)頭を埋め尽くすのが野球であり将棋なのではないでしょうか?
凡人が意図して、努力して、我慢して訓練する事を天才は無意識、無自覚に頭を支配してしまっている。
なので、傍からどうしてそんな毎日将棋の事ばかり考えられるのですか?言われても全く分からない。
性分なんですかねぇ?とでも答えるしかなくなってしまう。
好きこそものの上手なれと言いますが、天才は好きを超えて無意識。
これに尽きるのではないかと思う訳です。
これでは勝負にならない。
方や苦しんで、我慢して、努力して、一生懸命その事に集中しようとしている横で無限の集中力を無意識でやられてちゃ勝ち目も無いというもの。
得意を作るのは苦手意識
仕事が好きだと心から言える人は幸福であると思います。
まぁ大小はあれど、多くの人はそれなりの折り合いをつけて仕方なさを飲み込みながら出社しているものじゃないだろうかと思いますし。
事業主だって世間は好き勝手言ってくれると感じつつ仕方なしを飲み込みながら同じく出社しているものでしょう。
嫌々だろうが、何だろうが、仕方なく努力し、我慢し、苦しんで日々業務に励んでいる事でしょう。
しかし、そんな中やはり天才は違う。
勤務時間などどこ吹く風で仕事の事を考えてアイディアが沸き上がり、その事に没入して実現まで無限の活力が湧いてくる。
なんだか、とっても楽しそうで何がそんなに楽しいんですか?って聞いたところで本人だって何が楽しいんだかね~って感覚なんでしょう。
うらやましい限りですが、そんな人は勿論少数です。
多くの人は違う。
仕事で必要な知識だからと勉強しても中々頭に入ってこないし、業界関連のニュースを見てても途中で飽きて来るでしょうし。
そもそも、事業計画だの、プロジェクト進捗だの、報告書作成だのと何が面白いんだか全く分からない事を日々やってるよという人も沢山いる事でしょう。
この差は何なのでしょうか?
何故人目に努力に映る事を無意識で出来る人間もいれば、「これをやるぞ~!」と意気込んでも全く出来ない人がいるのでしょうか?
私はそこにはコンプレックスが関係しているのではないかと思っています。
勿論人間の行動原理は一つではないでしょうから、怒りであるという人もいれば、楽しさである人もいてそのメカニズムは大変に複雑なのかもしれません。
その中の一つでもあるのが、コンプレックスだと思うのです。
コンプレックスが無意識下の継続を生む
苦手な事というのは誰しもあるものです。
しかし、その苦手意識は実は強みであると言えます。
例えば子供の時に好き嫌いというのはあるものです。
人参が嫌い、椎茸が嫌いと誰しも一つ位はあるものではないでしょうか?
この嫌いな食べ物、どれだけ細かに刻んでも、ほんの少量でも、料理に加えられていれば気が付きはしませんでしたか?
嫌いな食べ物というのものには極端に繊細に気が付くという事です。
それって言い換えると嫌いな食べ物については非常に細かにその味の違いに気が付く事が出来るという事です。
ソムリエや唎酒師(ききさけし)には下戸の人が多いようで、これも同じ事かなと思います。
私は酒のみですが酒の味なんて分からない口です。
細かな風味や、酸味、苦みと言われてもさっぱりです。
しかし、ソムリエの人は違いますよね。
その繊細さが分かるという事は嫌いである事を巧みに乗り越えた事で得られた事でもある訳です。
今の時代PCがあるのでモノを書く事なんて随分と簡単な事になりました。
私もこうして文章を書いておりますが、実は大の悪筆です。
とても字が汚い事が子供の頃から悩みでした。
まぁ実際は悩みと書いてみたかっただけでさほど悩んでいないのですが、兎に角苦労しました。
現代では字を書く機会は殆ど無いので助かりますが、冠婚葬祭の受付だけは緊張します。
あればっかりはどうにもならない。何百回と書いてきた自分の名前なのに、上手く書けない。
そして、字が汚い事が文字を書く事を遠ざけていたため漢字を書く事も出来ません。
平易な漢字であっても脳に浮かんでこないのです。
この悪筆というコンプレックスがあるおかげで書かなくて済むにはどうしたら良いか?
これを常々考える事が癖づきました。
結果、書き取らなくて済むように理解力が高まり、文字にしなくて済むように説明力が高まりました。
今日セミナー講師が出来るのもこの悪筆のおかげかもしれません。
そして、この説明するという事に関しては幸いにして無意識無自覚に朝から晩まで頼まれなくても考えてしまいます。
まるで、ステージでも想像してその舞台で何を演説しているかのシミュレーションを毎日毎日、飽きもせず繰り返してしまうのです。
この点は自分の特徴であり、異常な部分だなと感じています。
しかし、これを活かさない手は無いぞと思う事が冒頭に繋がります。
意識的に近づけて補う事が出来る
さて、長くなりましたが一体いつお金の話になるのでしょうか。
お金の事はどんな人でも意識できるのではないかという事です。
良くも悪くもお金の事は誰でも気に出来ます。
気にすれば気にするほど、その事を考えれば考える程上手く、得意になっていく。
で、あるならばお金の事を無意識、無自覚に考える事が出来るようになれば必然お金の天才になれるという事です。
確かに、朝から晩までお金の事を考えていられれば金持ちになれそうです。
ここでも多くの人が流石にそれは無理となる事でしょう。
しかし、実は朝から晩までどころか、多くの人は日に1度もお金の事を考えません。
如何でしょう?
そんなことありませんか?
コンビニで支払いをしているとか、昼食を食べる時に確かにお金を使っていますか?
そうですね、消費しています。
しかし、それはお金の事を考えている訳ではありません。
自分の資産がいくらあるとか、どうやって増やすかとか、今後の人生いつどんな出費があるかとか。
そういった事を考えているのかと言えば考えてはいないのです。
お金の事も同じです。
頼まれなくても四六時中考えている人はいます。
そういう人の方が金融リテラシーは高まり、お金の知識が増え、自然と資産を作れるようになっていくものです。
では、どうすればそのようになれるのか?
なれません。
無意識、無自覚にお金の事を考えるようになるなんてなる訳がありません。
そして、それで良いと思うのです。
四六時中お金の事を考える必要なんてありません。
コンプレックスは転じて武器に出来ます。
私達はそれを活かして何かを克服する事が出来ます。
お金の事はどうすれば良いでしょうか?
毎日、毎時間考える事は出来ません。
でも、少しは考える事が出来るのではないですか?
私達はお金の天才ではありません。
四六時中お金の事を無意識に考えられるように出来ていない。
なので、その事で悩まなくて良いと思うのです。
しょうがないじゃん的な。
でも、転じて言えば四六時中考えている人には勝てないけど、少しは近づきたいと思うなら、少しだけ考えてみればよいのです。
お金の才能なんてもの多くの人は持っていません。
そして、天才と呼ばれる人は無意識に人が出来ない事が出来ている。
その才能はどんな人も宿していて、それらはコンプレックスを鍵としている。
もし能動的に才能を活かしていきたいなら意識的にその事を考える事で補う事は出来る。
お金事を少しでも考えていけば、少しずつかもしれませんが、お金の事に強くなれるはずです。
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この記事を書いた人
ライター
佐藤大介(さとうだいすけ)
ウルトラ金融大全局長
ウルトラ金融大全の監修を務めます。
金融リテラシーを高める為、セミナー講師として活動。
「超一流の口だけ男」と評される氏のセミナーは非常に分かりやすく、何度も受講するファンが沢山います。
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