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「華西村」中国一の金持ち村は何故破綻したのか?

「華西村」中国一の金持ち村は何故破綻したのか?

中国江蘇省(こうそしょう)にある華西村(かせいそん)
上海北西部に位置するこの村はかつて中国で最も裕福な村と呼ばれていました。
村民全員に大邸宅と車が与えられ、高さ300メートルを超えるビルが建設されるなど村と呼ぶにはあまりに発展しました。
しかし、同村を象徴するコングロマリット(複合企業)「華西集団」(かせいしゅうだん)は2023年7月財政破綻し、同社株式はわずか1元(20円)で売却されてしまいます。

一体、中国一の金持ち村に何があったのでしょうか?
このコラムでは華西村の隆盛を解説します。

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大躍進政策で疲弊する農村部

華西村は江蘇省の上海北西、大陸東部に位置する地方村でした。
人口1500人程度1キロ四方程のこの村は、良くある地方農村の一つに過ぎませんでした。
1958年毛沢東国家主席の号令で始まった「大躍進政策」により大陸全土の農村に人民公社が置かれます。
人民公社とは村を一つの事業体とする制度で各人民公社には生産目標が割り当てられます。
食事も労働も皆で行い、個人が財産を持つ事や食料を備蓄する事も許されません。
当時中国が国家プロジェクトとしていた鉄鋼生産を中国全土の人民公社で行いました。
農村部では作物生産にもノルマを課しています。
しかし、科学的根拠の希薄な農業手法や人民公社という制度による労働意欲の低下が生産量を大きく減衰させます。
成果を挙げたもの、良く働いたもの、そういった人事考課を最初こそ査定していましたが、上がらない生産性や出来高を前に見る間に形骸化していきます。

不合理な農耕手段で作物は取れません。
微々たる成果も地方政府に徴収されてしまいます。
下手に指導部のやり方に口を挟めば容赦なく粛清対象となり、まともな異論を挟むものもいなくなってしまいました。
そうなると誰も彼も一生懸命は働きませんし、農業知識に明るいものがいても口を挟まなくなります。

中央政府には地方政府に課せられたノルマは達成されていると報告されていきます。
共産国家では出世競争が苛烈です。誰も彼もが成果を誤魔化し過剰なほど農作物が生産されていると報告されていました。

「一平二調」(yī píng èr diào)という働いても働かなくても同じ事と人々は口にするようになり働く意欲が無くなります。
共同食堂では好きなだけ食べられるとあり、人々は食べられるうちに食べてしまおうと浪費が進みます。
この影響で備蓄された食料は過大に消費された結果多くの農村で飢餓が起こります。

中国全土で数千万人の餓死者を出すほどの惨事となり、歴史上もっとも大きな飢饉だと言えます。
華西村もそんな人民公社の一つで1961年に設置された華西大隊が華西村の前身となります。

呉仁宝が集団企業で導いた華西村

呉仁宝(Wu Renbao)は1961年に華西村党書記に任命されました。
貧困であえぐ華西村で水路を整備し農業生産の改善に取り組みました。
その傍ら豆腐工場を副業で行い、農業以外の収入源を作ります。
文化大革命時代(1966年~1976年)が来ると地方農村に課せられた農業生産ノルマから隠れて金物工場を運営します。
これは地下工場と呼ばれ入り口を隠して政府役人に隠れて運営していました。

大躍進政策が多くの飢餓を生んだ後も相変わらず村には農業従事が義務付けられており、各農村では過酷なノルマに苦しんでいました。
毛沢東が進める文化大革命でも過大な成果を報告する事が常習化しており、報告との辻褄を合わせる為農村部には過酷なノルマが課されていました。
生産量が過大に報告されると中央政府では余剰生産された農作物などを輸出販売するよう指示します。
地方政府へは生産物の提供が指示されますが、現実には余剰生産された作物などありません。
多くの農村では作物が無く、慢性的な物資不足が起こります。
実際には国民が食べる食料は無いのに、中国政府はなけなしの食料を輸出してしまうわけです。粉飾された報告が常態化している事が原因です。

呉仁宝はお金にならない農業生産よりも地下工場での工業製品販売に力を入れました。
資源が不足する中で成果を挙げられない近隣の農村に、不足していた農具や工具を供給します。
地下工場は生産性の低い農業よりも大きな収益を村にもたらしました。

呉仁宝は人民公社が解体された後も村単位での事業を継続し、「集団企業」(しゅうだんきぎょう)を作り指導者として村の事業を導いていきました。

1978年鄧小平により改革開放が行われると、工場を隠す必要もなくなり、村をあげて大々的に工場運営を行います。
1980年、北京政府の農村改革「契約責任制」が実施されると、村民を鉄鋼会社などで雇い入れ、農業従事者との分業を開始しました。
契約責任制では農地をそれぞれの農業従事者に分配しなければいけませんが、土地の少ない華西村でそれを行うと一農家当たりの出来高が著しく少なくなってしまいます。
そこで、優秀な農業従事者に農業を任せ、それ以外の村民を工場で雇い入れる事で村ぐるみで事業を行う事を実現させたのです。

改革開放で地方の農村も工業化が奨励されましたが、急な変化に応じられるわけも無く、多くの地方自治体が工業化に苦戦します。
しかし華西村は文革中に築いたノウハウを活かしていち早く工業化を進める事が出来ました。

周辺の村を合併し、大きな設備を導入して、鉄鋼業などを推進していきます。
いくつもの事業を会社化して、複合産業を作っていきます。
村は合併と出稼ぎでどんどん人口が膨らみ、華西村は賑わっていきます。

呉仁宝は1994年「華西集団」という会社を作り、村民全員で会社の事業を行いました。
華西集団では事業売り上げの大半を事業拡大に再投資する事で事業規模をどんどん拡大していきます。
華西村は大きく飛躍し35000人の人口と30キロ四方もの広さの村となっていきます。

共産主義的な会社経営

鉄鋼業と繊維業が村をけん引し、華西村の住民の暮らしは見る間に良くなっていきました。
華西村では独特な報酬支払いシステムがありました。
給与とは別にボーナスとして華西集団の株を支給します。
華西集団の株式は自由売買は出来ませんが、配当が有り華西集団グループのサービスへの支払いに使う事が出来ます。
その代わり支払われる給与は全体の2割程度に過ぎませんでした。
華西村の医療費や交通インフラなどは無料で提供され、村民全員に住まいと自動車が支給されました。


この仕組みにより事業の利益で自由になるキャッシュが増えて、再投資を加速させる事が出来ました。

そして、華西村は天下第一村と呼ばれるほど豊かな村になりました。
これは中国で最も豊かな農村という意味になります。

中国共産党本部からも模範的成長を遂げた村として大々的に喧伝されていきます。

鉄鋼業から金融業へ

2003年呉仁宝は退任し華西集団は4男の呉協恩(ウー・シエエン)が跡を継ぐ事になりました。
中国全土が高度成長を迎えると華西村には突出した強みが失われ徐々に売り上げを落とし始めました。

呉協恩はそれまでの鉄鋼業、紡績業だけに頼ってきたグループの事業を海運業や金融業にシフトさせていきます。
2007年中国鉄鋼業は業界全体で頭打ちを起こしますが、思い切ったかじ取りで中核事業の鉄鋼業を縮小した事がグループを窮地から救いました。

順調な成長を進める新規事業のおかげで2011年には華西村は50周年を迎えます。
メディアにも大々的に取り上げられ「世界一裕福な村」が話題になりました。
村には新たに「空中華西村」を建築


ここには高さ328メートルの巨大なランドマーク「華西龍希国際大酒店」という4つ星ホテルも併設され、観光事業にも取り組んでいます。

2013年呉仁宝は死去しますが、村の経営権は呉一族に集約されグループは一族により支配されていました。
2015年金融事業部門は好調に利益を上げていきます。
鉄鋼業からの金融業への転身は概ね上手くいき、華西集団は盤石な地位を築いたかに見えました。
折しもシャドーバンキング問題が立ち上がる頃合いと重なります。
中国の地方経済で融資平台が台頭し、沢山の理財商品が売り出されている時期です。
※融資平台については文末のリンクをご覧下さい。

強固な一族体制

華西村は呉一族の強力な集権体制で運営されています。
事業の権限は勿論の事、資金に関しても一族に一任されています。
華西集団の株式配当も村民は簡単に引き出すことは出来ず、村でのみ流通する貨幣が作られ、村民に配られます。
そのお札は華西村のみで消費されるので華西集団の利益が村の外にこぼれる事はありません。
徹底してキャッシュフローを管理する事でコングロマリットを維持していきました。
華西集団の資産の90%を一族が所有しているとも言われており、村単位の中央集権国家といっても差し支えないでしょう。

グループの中核事業となった金融業ですが、華西集団は高利の預金商品を募っていました。
中国の銀行で通常4%程度の定期預金を10%以上の金利で募ります。

この高金利に釣られて多くの人が華西集団に資金を預けていきます。
集めた資金を投資に回して華西集団は投資利益をあげる事に躍起になっていきました。

古くからグループを支えてきた鉄鋼業や紡績業は先細り、新規で参入した海運業でも業績は伸び悩んでいました。
かじ取りを変えたとはいえグループのメイン事業である製造業の伸び悩みはじわりじわりと財務状況に響いていきます。
2016年以降成長している事業は無くなり、リスクを孕んだマネーゲームになっていた金融事業にもヒビが入り始めます。

2019年には利払いが詰まるようになり、取り付け騒ぎが起こります。
華西集団の経営が疑問視されるようになり、投資家の資金離れが止まらないようになってしまいます。

そして、2023年7/25に4000億元(約8兆円)もの負債を抱え事実上財政破綻という冒頭に結び付くのです。

華西村とはなんだったのか?

中国ではバブル崩壊が取りざたされています。
過剰な金融商品での資金繰りに無理が生じるこの現象は華西村だけに限らないでしょう。
華西村をモデルとして開発事業を目指した地方自治体は無数に上るはずです。
中国大陸全土で華西村と同じような状況になるという事です。
日本でも地方都市で同じように第三セクターを作り、駅前再開発を行っています。
コンパクトシティ構想と銘打って成功と持て囃しておいてからの破産というパターンが散見されています。
この三セクによる開発からの成功失敗パターンは似たようなものですが、中国では規模が全く違います。
「世界一金持ちの村」は村民の努力により作られ、高度発展する経済の只中で隆盛を迎えるも肥大化した金融市場により潰える結果となってしまいました。
ここにはワンマン経営の会社に見られるような強力な強権主義による弊害があります。
ワンマン企業の強みは強力なリーダーの即断です。
華西村が勝ち組に乗ったのは呉仁宝の卓越したリーダーシップと先見性、共産主義社会の世渡り力です。
大躍進政策下より、副業を開始し地盤を作る事に尽力。
開放政策で抜きんでた商才で事業会社を設立。
鉄鋼業の時代が来ると見ればコネクションを最大限利用してレバレッジを効かせたギャンブルに勝利します。
躍進する中国内で大きく勝負に出た事により大きなリターンを得る事に成功しました。
まさに立志伝中の人と言えるでしょう。

ところが、持続する事業体を作る事は出来ませんでした。
持続実現可能な事業体とは絶えず変化する組織でなくてはいけません。
ワンマン企業における弱点がそうであるように強力なリーダーシップとは裏を返せばリーダーの誤る時が組織が終わる時になってしまうのです。
同じ組織、同じ事業が永遠に成功しないのは環境が絶えず変化していくためです。
能動的に変化する組織だけが時代の変化に対応出来ます。
一族集権の形を取り、身動きの取れない組織体系では多様化するニーズに応えていく事は出来ません。
マネーゲームに乗じた事業は金融市場の動きと共に低迷してしまうのです。
バブル崩壊を迎える中国経済の前で華西村のような中央集権的な組織体は同じような弱点があらわになる事でしょう。
華西村とは巨大な中国経済が生んだ中国ドリームだったと言えます。

しかし、呉仁宝(Wu Renbao)が上海の一農村を世界で話題に上るほど豊かな村に導いた事は厳然たる事実だと言えるでしょう。
栄枯盛衰は世の常と言いますが、華西村がこのまま無くなるのかどうかは残された人々がどうするかにかかっているのだと思います。

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https://urukin.com/2554-2/

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この記事を書いた人

佐藤大介

ライター

佐藤大介(さとうだいすけ)

ウルトラ金融大全局長
ウルトラ金融大全の監修を務めます。
金融リテラシーを高める為、セミナー講師として活動。
「超一流の口だけ男」と評される氏のセミナーは非常に分かりやすく、何度も受講するファンが沢山います。
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